完璧ではない自分で、そこにいること
- Yoshimi Shimizu

- 17 時間前
- 読了時間: 3分
私たちの日常は、いつも何かを「すること」であふれています。
仕事をする
学ぶ
誰かを支える
場に参加する
役割を果たす
期待に応えようとする
その「すること」の中で、ふと自分の限界に触れることがあります。
「ちゃんとできているだろうか、役に立てているだろうか」
そんな問いが、静かに心の中で回りはじめることがありませんか?
この数日間、ある心理療法のトレーニングで、演習グループのアシスタントをしていました。
英語で行われるトレーニングです。
私は日本語を第一言語としているので、英語の場にいる時、いつもどこかに緊張があります。
ちゃんと理解できているだろうか
適切にサポートできているだろうか
参加者の学びを妨げていないだろうか
誰かの感情を見落としていないだろうか
知らないうちに誰かを傷つけていないだろうか
そんな問いが、表面には出ていなくても、身体のどこかでずっと回っていたように思います。
終わった後、思った以上に疲れていました。
ただ忙しかったから、というだけではありません。 もっと深いところで、
「私はこの場にいてよかったのだろうか」
という問いに触れていたような疲れでした。
私には、できないことがあります。
全部の英語を完璧に理解できるわけではありません。
すばやく言葉にできないこともあります。
その場で気の利いた表現が出てこないこともあります。
だからこそ、私は自分の限界をよく知っています。
そしてその限界は、時々とても恥ずかしく、不安になります。
でも今回、少し不思議なことに気づきました。
言葉ですべてを追えないからこそ、 私は別のものを見ようとしていたのかもしれません。
表情
沈黙
身体の小さな動き
声のトーン
その場の空気
何かが少し変わる瞬間
言葉では追いつけない分、 私の身体は、別のところで一生懸命その場に参加していたのかもしれません。
その不完全さの中に、私の感受性があったのかもしれません。
うまくできないからこそ、 慎重になる
わからないからこそ、 丁寧に見る
すぐに言葉でまとめられないからこそ、 その人の身体や空気に耳を澄ませる
それは、私が思っていた「弱さや情けなさ」とは少し違うものだったのかもしれません。
完璧ではない自分が、 そのままの自分として、 その場にいることができた。
全部わからない自分が、 そのまま誰かと一緒にいようとしていた。
そしてその自分の中にも、 ちゃんと何かがあった。
やさしさ
慎重さ
身体で感じる力
その場に留まろうとする力
人をジャッジせずに見ようとする力
私は、これまでそれを「強み・持ち味」と呼んでこなかったかもしれません。
むしろ、自分の足りなさばかりに目を向けていたように思います。
でも今回、共に学んだ方々との関わりの中で、少し見方が変わりました。
私の中にある不完全さは、 ただの欠点ではないのかもしれない。
そこには、 私が私として人と関わるための「私らしい大切なもの」があったのかもしれない。
何かが完璧にできるから、そこにいていいのではなくて
役に立てたと証明できるから、存在していいのでもなくて
不安を抱えながら、 恥ずかしさを抱えながら、 限界を感じながら、 それでもその場にいようとした自分
その自分を、少しだけ抱きしめてあげたいと思いました。
完璧ではない自分で、そこにいること
そのままの自分で、人と関わること
足りなさの奥にある、自分らしい力に気づくこと
それは、少し怖くて、 少し恥ずかしくて、 でもとても静かな安心へとつながっていく体験でした。
あなたの「不完全さ」の中にも、あなたらしい大切なものが、そっと見えてくるかもしれません。
今日も読んでくださってありがとうございます。



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